編集後記「人と土地の、魂の古層へ 」
浮舟社 家入祐輔
(注:実際の本文中には、丹野杏香さんによる挿絵と、オリジナルのマーク〈このページでは◎と表記〉があります)
この本をつくろうと思うにいたるまで、わたしは「周波数」、あるいは「呼吸」といったものの力を、ほとんど信じていませんでした。スピリチュアルといわれているもの――もしかすると、そこに何かあるのかもしれないという予感をどこかで抱きつつ――なにか怪しいもの、オカルト的なものとして、みていたのではないかとおもいます。
そうした意識が大きく変わったのは、著者の青山サキさんとの出会いがきっかけでした。本書の聞き手として、この本が生まれた源流と、この本が見ている先のことについて、書き残すことができればとおもいます。
まずサキさんとの出会いですが、サキさんとは私の友人のお母さんとして知り合い、ご近所さんとして話したり、たまに登山に行ったりするような仲になりました。それが一年、二年と経ち、折に触れて呼吸の話や周波数の話も耳にしていましたが、その時は話半分に受け取っていたようにおもいます。
ただ、本書にも出てきた、呼吸や「気」によって大病を癒したという話を初めて伺った時は、その大きな変化の道のりを、友人も間近でみていた、知っていたということに、素直に驚いたのを覚えています。そういうこともあるのか、と。身近に起きていた、疑いようのない事実として、そういうことがあったということです。
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ある時、わたしと青山親子で、旅行に行くことになりました。わたしは、サキさんが話していることを確かめてみたいという、ややよこしまな気持ちもあったようにもおもいます。
そして結論から言えば、その旅で、わたしはどこか、ある道へ――これまで歩んだことのないような道へ――運ばれているかのような、いくつかの体験と、それを跡付ける数々の土地の歴史に出会ったのでした。ありていに言えば、さまざまな時代の流れのなかで、変化したり、一時は消失したりした祈りと、人と土地、鳥獣草木虫花との息づき合い、さらには、そこで生まれていた、癒しや豊かさに出会った。
人間文明の発展によって影をひそめることになっていったものたちに、です。
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はじめに、わたし達は富士信仰の浅間神社のなかでも、一番大きな浅間大社に行くことにしました。静岡県下でも名だたる神社の一つです。そこは大きな富士山を臨むことができ、清廉な空気を保ちつつも、どこか賑やかな雰囲気のあるところでした。境内の脇には、山の雪解け水が何層もの溶岩の間から湧き上がって出来た池があり、これは特別天然記念物にもなっています。池の周りの藤の花や、水中をゆれる草が心に残っています。
そしてここが、本が生まれることになった、はじまりの場所でした。池のほとりで、わたしは本書にも出てきた「呼吸」の仕方を、はじめて時間をかけて教えてもらいました。
その足で、わたし達は今度は山の方へ、別の神社に行きました。その神社は、社殿のない、古くからの神道の祈りの原型が残っている場所で、遥拝所から富士山を臨むことができます。
さきほどの浅間大社とは違い、もの静かで、人もまばらですが、ほとりには小川が流れ、溶岩の石列でできた祈りの場のまわりで、木々がさざめき合っている――まさに自然の魂(アニマ)が宿っているような気配がある。神道が、アニミズム(自然崇拝)をその根源にもつのも、なるほどだとおもわれました。
そうした場所で、境内に入るやいなや、サキさんが「ここは気持ちの良い場所だね」と言って、遥拝所の前で立ち止まり、娘と一緒に一〇分ほど何も話さず、ただ呼吸をするという時間がありました。「あなたも一緒にしなさいよ」と、わたしも目をつむって、周りの音を聴きながら、教えてもらったばかりの呼吸を試していました。
その時はよくわかりませんでしたが、なんとなく、心地良いものが、確からしいものとして感じられる――そしてこの「心地良さ」こそが、まさに本書にある心身の「一致」であるということを、その時は知るよしもなかったわけですが――。
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また別の日にわたし達は伊勢神宮の方へ車を走らせました。伊勢参りの例によって、まずは二見興玉神社へ、そのあと神宮へ行くというような流れです。
道中、あちこちと寄り道をしましたが、ある時、神宮とゆかりのある神社の脇に、小さな祠をみつけました――それはすぐそばの二〇年に一度建て替えられている社殿に比して、あまりに小さく、それでも人の手が入り、大事にされていることのわかる印象的な場所でした。ここでも、青山親子が「気持ちが良いね」と、しばらく留まっていました。
わたしは、どういうところなのだろうと、手元にあった境内の地図を見てみましたが、それに当たるものは見当たらない。地図上においてそれは、名もなき祠といえる場所でした。親子を待つ間、社務所で神主さんに聞いてみると、それは地元の人の祠です、と。
かつてこうした社祠はいくつもあったものの、明治期の神社合祀令によって周囲の神社社祠は一つにまとめられたり、あるいは戦火によって焼失したりしてしまった。地元の人たちが、自分たちの祈りの場所として再建したものが、あの祠なのですよと教えてくれました。
「神宮で管理しているわけではないので……」と、それ以上はあまり詳しく聞けませんでしたが、つまるところ、現在の神道体系には組み込まれることはなかった、土地のカミが宿る場所ということでした。
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神社合祀令。明治期、日本の近代化が進んでいく過程でとられた政策の一つで、市町村にある社はまとめあげられ、小さい神社がなくなり、自然と共存していた集落の「鎮守の森」、文化遺産の多く――つまり、土地土地のカミへの祈り、祭礼習俗のいくつもが、そこで消失したといわれています。
この合祀の影響をもっとも強く受けた地である、紀伊半島の偉人、かの有名な南方熊楠は、この神社合祀令によって、地域交流創成の場、土着の自然が根付く「産土」の地が無くなることを危惧し、神社合祀令反対運動をしていたことで知られています。
別言すると、こうした近代化と、国家総動員の戦争の足音が聞こえてくる時代に、国の形もかわっていくなかで、神々の格付けが進み、名もなき神々が「カミ殺し」を受けていた地があった――。
そしてサキさんが「ここはいい場所だね」といったところは――あとで地域の所縁を辿っていくと、するするとその姿を現していったのですが――すべからく、古代より祈りが興った場所、名もなき神々、あるいはアニミズムが根付く地であり、そして気持ちよさとして感じられる場所――つまり人と自然が調和し、互いに息づき合うところというわけでした。
また、わたしはその時、公害についての別の仕事に取り組んでいました。急速に成長する人間の文明と社会経済――近代化によって、自然とともにあった生活、生きることの根底が損なわれるという出来事があった。そうした過去や現在を振り返りながらも、前を向こうとした矢先、わたしは「魔女の呼吸」に出会ったのでした。
人は、自然だけでなく、法や政治、経済、そうして国や社会という土台の上で生きて、そこでさまざまな折衝、営みを続けていかなければならない。
それでも、人間社会の行く末で、さまざまな人と自然の結び目がきれ、失われていったのではないかとおもわれるものがある――人の理性の有り方というものを捉えなおし、本来あったはずの、忘れられつつある人の力を、サキさん、「魔女」の話のなかに確かに感じたのでした。
それから、こうした祈りや土地の歴史と、「魔女」や「呼吸」といったことが鍵言葉のようにおもわれてくるようになりました。また史実を紐解くと、呼吸による癒し自体は、何も新しいものではないということもわかりました。長い歴史をもっているものの、それはときに霊術として、あるいは、ときに権力によって「邪教」とされ、そして弾圧されてきたものでもあった。「魔女」もかつてそうであったように――。
他方で、近代化のはじまりにおきた公害事件において、水と人をつなごうとした田中正造も、呼吸法を生活に取り入れていたらしい――。
こうした理性や感性を再検討する方向性が、一方ではスピリチュアルといわれるものかもしれませんが、近代を乗り越える道へ続いているのではないか。
人間の理性や日本社会の行く末で、光が当てられて良いのではないか。
ひとりひとりの身体の感覚や心の回復、そしてその先には、もしかしたら海、山河、土地の声を聴くことや、癒し、人と自然の共同体の古層にあるものを蘇らせる何かがあるのではないか。そしてまた、それらは新たなものへと――戦後以降の、これまでとは異なる日本の伝統回帰の形、あるいは「この国のかたちとは何か」という問いを照らすものになるのではないかと、わたしにはそう感じられます。
そうしてようやく、この本をつくろうと決めたのでした。サキさんに、いつも話していることを本にしようと提案し、実際に聞き書きを始めてから、およそ二年を経て、こうして形になったことを嬉しく、心からありがたくおもいます。これまでのあらゆるきっかけが、一つとして欠けていれば、この本が生まれることはなかったでしょう。改めて、一つ一つの出来事に感謝いたします。
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本書はさまざまな人の手――人の手だけでなく――によって生まれました。聞き書きと出版を了承してくれた青山サキさん、その縁を結んでくれた友人、そして出版を応援してくれた両親に、まずは御礼申し上げます。また、出版を理解し、待っていると言ってくれた友人らや、青山さんのお知り合いの方々にも御礼を申し上げます。そうした応援があったことは、とても大きな励みになりました。
ほかにも、本をあるべき形にしてくださった、デザイナーの古屋郁美さん、イラストレーターの丹野杏香さん、校正者の小柳津まさこさん、印刷所のモリモト印刷さんにも、心より感謝申し上げます。これまで足を運んだ土地土地の歴史と、それをとりまく数多くの先人の思いにも敬意を表します。
もちろん、本書を手に取ってくださった読者のみなさまにも、深く御礼申し上げます。
今後も浮舟社では、人と自然をむすぶ、そうした本を編む活動をつづけていきたいと考えています。ご支援ご声援とともに、ますます本書、そして今後浮舟社から生まれてくる本が、広く読まれることを祈り、編集後記とさせていただきます。
編集後記参考文献
石牟礼道子・鶴見和子
『〈鶴見和子・対話まんだら〉石牟礼道子の巻 言葉果つるところ』藤原書店、2002 年
森崎和江
『見知らぬわたし―老いて出会う、いのち』東方出版、2001 年
吉永進一 著/栗田英彦 編
『霊的近代の興隆―霊術・民間精神療法 (吉永進一セレクション 第一巻)』国書刊行会、2024 年
(終わり)